劇団「ClownCrown」に所属することとなりました

お久しぶりです。StudioEmanonの乾です。

東京に来て早くも11ヶ月が経ちました。

新しい環境(含む職場、人間関係、交通事情などなど)に慣れるので精一杯だった一年だったなぁと改めて思います。

職場の話で行くと、いわゆる広告代理店に勤めているのですが、まぁ人が少ないので人間関係はどうしても濃厚になります。十人程度のチームでお金を稼ぐためにああだこうだ言いながらも仕事をするのでとても大変です。意思決定がとっても難しい。

ちなみに僕が初めて勤めたのはいわゆる大企業でした。従業員数も500人以上、資本も十分で、組織としての仕組みもしっかりとある状態。お給料は新卒の中ではそれなりで、20万は手取りで超えていました。(今思うととても恵まれている会社だったのに…!笑)

しかしながら、代理店様との折衝が上手くいかず心がくじけてしまい、退職してしまいました。もう5年も前の話になるのか。

次は自分の劇場を持って、好きなお芝居をたくさんやるんだ!と息巻いて、小さいながらも個人事業をやることになりました。パソコン教室、郵便局のPOSの入れ替え、ソーラーパネルの工事、回線販売、パソコン出張設定、居酒屋の広報兼ホール、介護教育のお手伝い、広報、携帯ショップの単発アルバイト、セミナー講師(もどき)…書き出してみると結構いろんなことやってますね(笑)

しかしどの仕事も単発で、次につながって安定した収入が得られる仕事では決してなかったように思います。この中でも、パソコンの出張設定は人を2人雇えるような事業に育ったのですが、僕の求める安定した収入にはまだあと一歩足りないです。

でもその代わり、たくさん時間はありました。正確には、自由に動かせる時間があったのでいっぱい芝居出させてもらいました。愛媛の最後の年は、年間で8作品くらい出てたのがピークかな。いや楽しかったな。

でも、ね。やっぱり次に繋がったり積み重なったりして行くものがないんですよね。どの仕事も。ずっと続けよう!とかそういう覚悟を持ってできた仕事はほぼなかった。お芝居も、仕事も。次のことを考えないといけないなっていうのが、この個人事業時代に痛いほど思い知りました。漫然と続けることもできるけど、そうではない。自分のしたい自己実現って結局どこにあんねんと。

(そうなった時に、次を思い描きながら前に足を進めてるなって思った愛媛の劇団が2組ありました。ここは常に意識している劇団なので、悔しいかな僕が劇場を持った時は絶対声をかけるところなんだろうなって思っています。悔しいから褒めたくない。苦い思い出もあるので。でも感情抜きにしたらやっぱりすごい)

この辺りの時に、僕はFacebookである人とお知り合いになるのですが、それが劇団ClownCrownの池田レゴさんでした。

池田さんの活動は「演劇即日常」として、演劇のエッセンスが様々な日常生活にいかせるんだよ。そしてそれをもっと世の中に知らしめるために、劇場を東京に建てるんだよ!というものです。ずっと、自分が愛媛で思い描いていた事にすごく近いものを感じるなと思って、Facebookでメッセージだけ送ってたんですね。

そしたら、縁あって東京に出てこれる事になり、去年の2月に上京。これは会える!池田さんに会えるやん!と思い、10月に初めてClownCrownのワークショップに参加しました。オフラインで池田さんに出会い、自分の構想や思いをお話したところ、「いいね!うちのいいとこ全部パクっていいから!」って超単純明快に伝えてくれました(笑)

そして、池田さんはとうとう荻窪に、劇場を建てることとなったのです。すごい瞬間に滑り込めたなぁって思いました。

中学校の時の文化祭→高校演劇→先輩の劇団→自分のユニットと変遷を経て来た自分にとって、初めて師事していただけて、先駆者として形を見せてくださったこの劇団に、しばらく自分も身を置いてみようと決意しました。

というわけで、今日から各種SNSのプロフィールも少しだけ触って、この劇団からたくさんのものをいい意味で頂戴していこうと思っています。

ほんとは来年の目標的なところまで書きたかったんですけど、長くなってしまっているのでまた別記事で。

2018年もよろしくお願いいたします。

いぬいゆうき
29年間住んでた愛媛を離れて、今は東京でサラリーマンやりながら演劇を見たりやったりしています。Uターンして、自分だけの劇場を持つのが夢。

コメントを残す